2012年2月13日月曜日

年末のおせち

ずいぶん久しぶりに書ける気持ちになったので、書きます。
年始からわりと忙しく、書きたいと思いながら時間ばかりが経ちました。

さて、わたしの夫は老舗料亭の支店の料理長です。
本店で下っ端のころ、わたしもそこで働いていました。
料亭では季節ごとの行事が厳格に決まっていて、たとえば七夕には着物を着た人形(ひとがた)をたくさん、数日かけて作ったり、2月になれば寝殿造りのおひな様を飾ったり、そういうことを業務として行ないます。
わたしは日常の接客やブライダルなんかも好きでしたが、この季節ごとにしつらいを変えたり、神様をお迎えする準備をしたり、ということが大好きでした。
人間が自然と(それも日本らしい四季と)いっしょに暮らしているんだということを実感できるからです。
それはともかく、最も大きなイベントはやはり、年末年始でした。
今は知りませんがわたしの居た頃、本店では27日に営業を終え、あとはお正月を迎える準備にかかり切ります。
枝を剪定して餅花を作るグループ、餅飾りを作るグループ、各部屋のしつらいを変え、松を飾るグループ、大掃除のグループ、そしておせち。

百貨店で買えるおせちは、3万円、5万円、10万円、15万円、がありました。
3万円は支店、5万円以上は本店で作っています。
(5万円はわたしたちが詰めます。10万円は調理場が詰めます。15万円と、ときどき特注が入る20万円のおせちは、総調理長が詰めます)
29日までは少人数で調理場の作ったものをグラムごとにわける作業。
そして29日朝から、従業員全員とその日だけのアルバイトで一斉に重箱に詰めます。
毎年だいたい500くらい詰め、風呂敷に包んで箱に入れて配送業者のトラックに乗せるまで、約12時間くらいの作業です。

わたしはこれが、とても好きでした。
イベント感が楽しいというのと、普段絶対できない盛りつけ(のまねごとみたいなもの)ができるからです。
老舗料亭はすごいなあ、と感心したのが、風呂敷包みに長けた人というのがいて(着物をきれいに着られる人ならできます)、バイトなんかに触らせず、その人たち(5人くらい)だけで500ほどあるおせちを美しく包んでいくのです。
その他の人たちは、箱に入れたり、配送先ごとに仕分けしたり、その箱に宛先シールを貼ったり、という「誰でもできること」しかやりません。
これは効率という点では、よくない。でもきれいに仕上がらないくらいなら、効率のほうを迷いなく捨てる。これが老舗料亭の凄みだと思います。
(だれだってキレイなほうがいいと思うのですが、現実問題、なかなか効率を捨てる勇気は出ないものです。たくさんの時給アルバイトを雇っている場合は特に。だいたい妥協できるギリギリ真ん中あたりを落としドコロにしてしまうでしょう)

これはわたしがこの料亭に就職しようと決めた点でもあります。
就職博みたいなものに行ったとき、ほかの企業は殺到する新卒たちを捌くため、説明はほどほどに、流れ作業(わたしから見て、ですが)のような対応をしていました。
ところがこの料亭は、いくら列が長くなろうとも、目の前の新卒一人ずつに、大変長い時間をかけて説明をしていました。中には待ち切れずに違うブースに去ってしまう新卒もいました(たくさん)。でも説明時間はいっこうに短くなりませんでした。
わたしはそれに大変感動して、もうここしかない、と思ったのです。
職人の中で育ったわたしには、その(普通なら鈍臭い、と罵られるような)対応が、とても誠実で職人を抱える企業のあるべき姿に見えたのです。

ところで、去年の年末、夫の支店で3万円のおせちを作ることが決まりました。
それまでその店舗では、やったことがなかったのですが、注文数が多かったために作ることになったのです。
夫は何日も前からほとんど寝ないで(というのも、夫の店は年末年始も休みがないため、通常の業務をしながらおせちの仕込みをしなければいけなかったので)仕事をしていました。
夫がそうなのですから下っ端の板前さんなんかは、帰る時間もなかったと思います。
わたしはおせちの詰め込み作業が好きだったので、久しぶりにアルバイトとして参加することにしました。

詰め込み作業は楽しく進みました。
アルバイトの人たちも丁寧に仕事をしていて、気分のいい作業でした。
ところが、すべて詰め込みが終わってフタをした途端、信じられないことが起こりました。
作業をする人たちの意識の中で「板前さんたちが丁寧に作ったおせち(食べる人たちにとっては一つ一つ大切なもの)」が、「大量生産した商品」になってしまったのです。
主に、普段その店舗で仕事をしているアルバイトたちに顕著でした。
フタをした途端、いかに効率よくこの作業を終えるか、という意識に支配されてしまったようなのです。
アルバイトのリーダーみたいな女性が仕切りだし、ごく機械的に風呂敷で包む人たちと、箱に詰める人たちに分けたのです。
着物を着る機会の多いパートさん(アルバイト)と、そうではないパート(アルバイト)を知っているのはこのリーダーしかいません。風呂敷をきれいに包めるのは、前者です。
わたしは一介のアルバイトなのですが、ちょっと見ていられず、夫とわたしの二人で風呂敷の包みかたをチェックしてから箱詰めに回すように提案しました。
というのも、案の定、というか当たり前なのですが、当日だけのアルバイト(大学生が多い)が結んでいるため、だいたい結びかたがひどく、普通の固結びしてるものや、結び目が歪んでいるものがほとんどだったからです。(悪いのは当日バイトではありません、作業させる側が悪いのです)

こんなものを3万円払ったお客さんに渡せるか、とわたしは思うのです。
今年のお正月は奮発して、料亭のおせちよ、わーい、と言って箱を開けて、最初に目に入る風呂敷包みが汚かったら、どんなにガッカリするだろう、と思うのです。
その視点が、この店舗の従業員にないのか、と思うとゾッとします。
まして、調理場の人たちはほとんど寝ないで丁寧な仕事をしているのです。
それを全部無駄にするつもりか、と心底腹が立ちました。

さて表向き提案は採用されたのですが、「うるさいこと言うやつがいるから、気の済むようにやらせておけ」という感じで、わたしたちが結びなおしたり検品している横で、わたしたちの目を通さずにさっさと箱詰めしているのです。
夫が一喝すればいいのですが、箱詰め、運送に入ったときから責任者は移っており、夫はできる限り結び目をチェックしながら、翌日の仕込みに入る調理場の指揮も執らねばならず、とても無理でした。

思い出すだけで腹が立ちます。
そういうことに思いを寄せることができない連中が夫の料理を運んでいるのかと思うと、いらいらします。
本店ではあり得ない。効率だけを追うならファミレスで働けばいいのに、と思います。
仲居は料理を活かすことも殺すこともできます。
いくら手をかけた料理でも、無造作に置けばただのエサです。
手の掛け方を尊敬して、いちばん上手く伝えられるようにお客さんに届けるのが仲居の仕事だと思います。

飛躍しますが、それはものを書くことと同じだと思うのです。
すてきな思いつきも、伝えかたが拙ければうまく届きません。理解してもらえません。
発想が料理だとしたら、仲居は技術です。
職人が手をかけた土瓶蒸しはめちゃめちゃおいしいですが、出しかたによっては、居酒屋の土瓶蒸しの方が値打ちがあるでしょう。

とりとめがなくなりました。
わたしは職人の仕事がないがしろにされることが、とってもきらいです。
うわべの効率を追って、それがスマートなやりかただと思っている連中もきらいです。(もちろん効率こそが業務の中核になっている場合は別です、当たり前ですが)
わたしのそういう点はちょっと神経質すぎるかもしれないとも思います。
職人の家に生まれて職人の夫を持っているせいで、身内びいきに過ぎるかもしれないとも思うのですが。